畠山記念館は、茶道具を中心に、書画、陶磁、漆芸、能装束など、日本、中国、朝鮮の古美術品を展示公開している私立美術館です。収蔵品は、国宝6件、重要文化財33件を含む約1300件です。(→ コレクション)春夏秋冬季節の移り変わりに合せて年4回、作品を取り合わせて展示しています。
創立者畠山一清(1881―1971)は能登国主畠山氏の後裔で、東京帝国大学工科大学を卒業、技術者としてポンプの開発に取組み、株式会社荏原製作所を興して実業界に名を馳せました。事業のかたわら、即翁と号して能楽と茶の湯を嗜み、長年にわたり美術品の蒐集に努めました。昭和の初めには旧寺島宗則伯爵邸のあった白金猿町の土地約三千坪を購入、明治13年に天覧能が催されたという由緒あるこの地に、奈良般若寺の遺構や、加賀前田家重臣横山家の能舞台などを移築して、私邸「般若苑」を造営し、昭和18年に開苑の茶会を催しています。
戦後、国宝の「林檎花図」「煙寺晩鐘図」をはじめ、大名茶人松平不昧の茶道具や加賀前田家伝来の能装束など、今日の畠山記念館の中核をなす美術品の蒐集がおこなわれました。畠山即翁は主として茶事の場において所蔵の美術品を披露してきましたが、その文化的価値に鑑み、恒久的な保存を図るとともに、広く一般の研究鑑賞に資するため、苑内の一角に美術館を建設、昭和39年10月に財団法人畠山記念館が開館しました。その7年後、昭和46年11月17日に即翁は91歳の天寿を全うしましたが、愛蔵の美術品を受け継いだ畠山記念館は、現在にいたるまで、茶の湯の美術館として親しまれています。
美術館の建物は、畠山即翁自身の発案により、鉄筋コンクリート造りの近代建築のうちに、日本建築を巧みに取入れた造りになっています。2階展示室内には、四畳半の茶室「省庵」と茶庭が設けられ、茶室にいる雰囲気の中でゆっくりと作品をご鑑賞いただけます。
また附属施設として庭内には茶室が点在し、年1回一般公開を行うとともに、茶会、花会などの貸席としてご利用いただいています。
畠山一清
即翁の所蔵茶道具の愛蔵印に「即翁與衆愛玩」があります。この言葉には、数寄者即翁がその蒐集品を独占するのではなく、共に楽しむ精神を見出すことができます。畠山記念館は創設者のこの精神を受け継ぎ美術館活動を進めています。