畠山記念館が所蔵する主な作品をご紹介します。収蔵品は、国宝6件、重要文化財33件を含む1300件に及び、茶道具を中心に、書画、陶磁、漆芸、能装束など多岐にわたります。
なお当館では、年4回の展覧会毎に展示品を替えていますので、ここに紹介する作品は常設で展示していません。
年 代:南宋時代
材質・技法:紙本墨画
サイズ(cm):縦32.8 横104.2
煙寺晩鐘は中国山水画の画題・瀟湘八景の中の一つ。厚い煙霧に包まれる中、日没後のかすかな光によって遠くの寺と樹木とが浮かび上がって見える様を描き出している。光と大気とを観る者に感じさせ、深い余韻を残す傑作である。画面左隅に「道有」の鑑蔵印を有し、足利義満の愛蔵品と知られる。義満以後、松永久秀、織田信長、徳川家康、紀州徳川家、その後加州前田家へと伝来した輝かしい由緒を誇っている。作者は南宋時代の画僧・牧谿と伝えられる。
年 代:南宋時代
材質・技法:絹本著色
サイズ(cm):縦23.5 横25.2
中国の花卉画で花木の一枝を描いたものを「折枝」と呼ぶ。団扇形の小画面に林檎の花の一枝を描いた本図は古来北宋の折枝画の名手、趙昌の作と伝えられてきた。林檎の花は、美しく開いたもの、ほころびかけたもの、まだ蕾のものとが、柔らかい暈しと細いが確実な輪郭線によって描き分けられている。写実に徹しながら花の可憐さと凛とした雰囲気を持ち、実際の制作年代は南宋と思われるものの、趙昌の名に恥じない名作となっている。
年 代:元時代
材質・技法:紙本墨画・墨書
サイズ(cm):縦35.2 横45.2
禅宗祖師の行状を描いた図巻の一断簡。江州の刺史李渤が『維摩経』の「芥子粒に須弥山を納れる」という語をどうしても理解することができず、深く帰依する帰宗智常禅師を訪ねて問い、はじめてその意味を悟ることができたという禅会の様子を描いたもの。筆者・因陀羅の伝記は未詳であるが、汴梁(開封)の大光教禅寺の住職で、大師号を宣授され壬梵因といった高僧と知られる。賛は元時代の禅僧・楚石梵琦の筆。
年 代:平安時代
材質・技法:紙本墨書
サイズ(cm):縦31.7 横64.6
小野道風・藤原行成とともに「三跡」にあげられる藤原佐理(944~998)の書状。佐理が正暦2年(991)に太宰大弐に任ぜられて九州へ下向する途中の5月19日、長門国赤間関(現下関市)より甥の春宮権大夫藤原誠信に宛てたもので、出発に際し、「殿下」すなわち時の摂政藤原道隆に赴任の挨拶を怠ったので、その侘びの取りなしを依頼した内容である。書き出しに「謹言 離洛之後」とあることから「離洛帖」と命名されている。佐理48歳の書。
年 代:南宋時代
材質・技法:紙本墨書
サイズ(cm):縦43.4 横71.0
筆者の大慧宗杲(1089~1163)は、南宋時代の臨済宗の僧で宣州の人。17歳で出家し諸師に参じた後、圜悟克勤につきその法を嗣ぎ、紹興7年(1137)径山万寿寺の住持となった。この書簡は道友円兄に送ったもので、まず久しく来書がないこと、自分は健勝であることを述べ、派禅道人や幻住道人の来訪、大病したが完治したこと等々、日常の些事を記している。書風は枯淡素朴、よく大禅家の風格を示し味わい深い墨跡である。徳川将軍家の伝来品であった。
年 代:鎌倉時代
材質・技法:漆器
サイズ(cm):縦26.4 横35.1 高21.2
全面が黒漆の平目地に写実的な牡丹唐草と蝶文を実に巧みに隙間なく布置したもの。幻想的でありながら理知的な構成で、きわめて華やかな装飾美となり、見る者を圧倒させる。甲盛り、錫置口を巡らした合口造りで、蓋に比べて身の丈が高く、胴張りの強いどっしりとした量感に溢れる。蝶形の金銅紐金具を付けている。「雲州蔵帳」に記載され、内箱表に松平不昧の筆で「時代手箱」の墨書がある。鎌倉時代最盛期を代表する優品。
年 代:南宋時代
材質・技法:紙本墨画
サイズ(cm):縦32.8 横104.2
煙寺晩鐘は中国山水画の画題・瀟湘八景の中の一つ。厚い煙霧に包まれる中、日没後のかすかな光によって遠くの寺と樹木とが浮かび上がって見える様を描き出している。光と大気とを観る者に感じさせ、深い余韻を残す傑作である。画面左隅に「道有」の鑑蔵印を有し、足利義満の愛蔵品と知られる。義満以後、松永久秀、織田信長、徳川家康、紀州徳川家、その後加州前田家へと伝来した輝かしい由緒を誇っている。作者は南宋時代の画僧・牧谿と伝えられる。
年 代:南宋時代
材質・技法:絹本著色
サイズ(cm):縦23.5 横25.2
中国の花卉画で花木の一枝を描いたものを「折枝」と呼ぶ。団扇形の小画面に林檎の花の一枝を描いた本図は古来北宋の折枝画の名手、趙昌の作と伝えられてきた。林檎の花は、美しく開いたもの、ほころびかけたもの、まだ蕾のものとが、柔らかい暈しと細いが確実な輪郭線によって描き分けられている。写実に徹しながら花の可憐さと凛とした雰囲気を持ち、実際の制作年代は南宋と思われるものの、趙昌の名に恥じない名作となっている。
年 代:元時代
材質・技法:紙本墨画・墨書
サイズ(cm):縦35.2 横45.2
禅宗祖師の行状を描いた図巻の一断簡。江州の刺史李渤が『維摩経』の「芥子粒に須弥山を納れる」という語をどうしても理解することができず、深く帰依する帰宗智常禅師を訪ねて問い、はじめてその意味を悟ることができたという禅会の様子を描いたもの。筆者・因陀羅の伝記は未詳であるが、汴梁(開封)の大光教禅寺の住職で、大師号を宣授され壬梵因といった高僧と知られる。賛は元時代の禅僧・楚石梵琦の筆。
年 代:鎌倉時代
材質・技法:絹本著色・墨書
サイズ(cm):縦84.7 横42.5
清滝権現は真言密教の護法神で、弘法大師が唐より帰朝する時、長安の青竜寺から勧請し京都醍醐寺に祀られた。元来は青竜の女神で、如意輪観音を本地仏とする。この清滝権現像は右手に如意宝珠を持つ女神に描き、左手を柱に軽く添えて、今しも神殿の山水風景画の襖を開いて、香薬の草子を童女に授けた、まさに影向した瞬間を表している。敷居の手前の童女に比べて一際大きく描かれた女神像は、神威の偉大さを象徴しており、畏敬の念がよく看取される。
年 代:室町時代
材質・技法:紙本墨画
サイズ(cm):縦159.0 横325.0(各隻)
中国の魏末・晋初の頃(3世紀頃)、竹林に集まって酒を酌み交わし、琴を弾じ、清談にふけった7人の隠士がいたという。彼らの姿は権力欲や物欲などを捨てたあるべき人間の理想のひとつとして認識されている。中国では4世紀以降、この逸話を題材にした「竹林七賢図」が描かれるようになり、日本では、他に長谷川等伯や狩野探幽なども描いている。雪村周継(生没年不詳)は、室町時代末期の画僧。宋元画を学ぶ一方、日本水墨画の大成者、雪舟の画風を慕って大きな影響を受けた。
年 代:桃山時代
材質・技法:絹本著色・墨書
サイズ(cm):縦84.9 横35.3
豊臣秀吉は慶長3年(1598)8月18日に没したが、その死の8ヵ月後に「豊国大明神」の神号が贈られ神として祭られた。今日伝えられている秀吉像のうち、最も年紀の早いものは死の当日のものであるが、その殆どが没後何年か経て製作され、神像形式をとっている。本図は神像であるが神殿などはなく、寿像としての性格が強い。髭はうすく落ち着いた容貌は、他の肖像とはやや異なった印象を与えている。像の上の賛は、近衛信尹(1565~1614)の筆と判断されている。
年 代:江戸時代
材質・技法:紙本著色・墨書
サイズ(cm):縦17.5 横54.6
伝世品が少ないとされる光悦絵画の一つで、扇面の右半分近くを占める金箔を月に見立て、それを見上げる白兎を描く。月の中には、『新古今和歌集』巻第12の藤原秀能の恋歌が散らし書きされる。画面左下には「光悦」の黒文方印が捺される。本阿弥光悦(1558~1638)は、桃山から江戸初期に活躍した人物で、書画・漆芸・陶芸とあらゆる分野に通じた総合芸術家。刀剣の鑑定・浄拭・研磨を家職とした京の上層町衆本阿弥家の分家に生まれた。
年 代:江戸時代
材質・技法:絹本著色
サイズ(cm):縦39.3 横60.7
「たらし込み」で描かれた土坡と流水のほとりに、鮮やかな紅色の躑躅が空に向かって枝を伸ばす。その手前に、白い躑躅がひっそりと咲く姿が、また対照的で美しい。流水を挟んで左右に大小の土坡も配しており、本図は小品ながらも、このような形や色彩の対比が見事に計算されている。まるで箱庭でもみるかのようにすべてが縮小された作品には、洗練された意匠感覚が反映されている。作者の尾形光琳(1658~1716)は江戸時代中期に絵師として活躍した。
年 代:江戸時代
材質・技法:紙本著色・墨書
サイズ(cm):縦114.5 横49.4
萩は風に揺れるように柔らかな曲線を描き、光を含んだ秋萩は輝いている。赤い萩はわずかに紫がかり、葉は緑の濃淡と黄金色、墨による「たらし込み」が用いられる。豊かな色彩により、萩の群がる様が見事に表現された作品である。覆い茂る紅白の萩の間に、三条西実隆の和歌を載せる。作者の尾形乾山(1663~1743)は、尾形光琳(1658~1716)の弟。最初野々村仁清に陶法を学び、京都・鳴滝に開窯し、陶工として活躍した。晩年は江戸で絵画を制作した。
年 代:平安時代
材質・技法:紙本墨書
サイズ(cm):縦31.7 横64.6
小野道風・藤原行成とともに「三跡」にあげられる藤原佐理(944~998)の書状。佐理が正暦2年(991)に太宰大弐に任ぜられて九州へ下向する途中の5月19日、長門国赤間関(現下関市)より甥の春宮権大夫藤原誠信に宛てたもので、出発に際し、「殿下」すなわち時の摂政藤原道隆に赴任の挨拶を怠ったので、その侘びの取りなしを依頼した内容である。書き出しに「謹言 離洛之後」とあることから「離洛帖」と命名されている。佐理48歳の書。
年 代:平安時代
材質・技法:彩箋墨書
サイズ(cm):縦27.5 横45.3
三十六歌仙の一人で、世に堤中納言とも呼ばれた藤原兼輔(877~933)の私家集を書写したものである。もとは冊子本であったが、現在は改装されて巻物や掛軸あるいは手鑑などに断簡として遺る。この一巻には6首を収める。書は繊細かつのびやかで、流麗な筆致が雅な王朝を偲ばせる。この温雅な美意識は、紫と藍の繊維をあたかも空に浮遊する雲のように漉き込んだと飛雲の料紙にも現れている。実際の書写年代は伝承筆者にあげる紀貫之の時代から1世紀以上下った11世紀中頃と考えられる。
年 代:平安時代
材質・技法:彩箋墨書
サイズ(cm):縦12.8 横12.8
京都大徳寺の塔頭・寸松庵に伝わった色紙。寸松庵は江戸初期の武家茶人・佐久間将監(1570~1643)が建立し、堺の南宗寺の襖に貼ってあった色紙36枚のうち12枚を手に入れて同庵に伝えたという。本品は、縹地に雲母で唐草と双鳳凰文を摺り出した唐紙に、『古今和歌集』巻第5・秋歌下の和歌一首を詞書を除いた作者名と和歌のみ書写している。伝承筆者は紀貫之であるが、行の変化と全体の調和の美しい書表現から、実際は11世紀後半の書写にかかるとみられる。
年 代:南宋時代
材質・技法:紙本墨書
サイズ(cm):縦43.4 横71.0
筆者の大慧宗杲(1089~1163)は、南宋時代の臨済宗の僧で宣州の人。17歳で出家し諸師に参じた後、圜悟克勤につきその法を嗣ぎ、紹興7年(1137)径山万寿寺の住持となった。この書簡は道友円兄に送ったもので、まず久しく来書がないこと、自分は健勝であることを述べ、派禅道人や幻住道人の来訪、大病したが完治したこと等々、日常の些事を記している。書風は枯淡素朴、よく大禅家の風格を示し味わい深い墨跡である。徳川将軍家の伝来品であった。
年 代:鎌倉時代
材質・技法:紙本墨書
サイズ(cm):縦31.6 横94.4
宗峰妙超の墨跡は気宇広大な禅僧の人柄をよく反映し、大徳寺の開山で高僧としての尊崇から古くより珍重されたが、とりわけ茶席では首位におかれてきた。この墨跡は弟子の宗圓道人に「孤桂」の号を与えた大字のもので、膠気の少ない唐墨をもって揮毫しているので一段と墨色が鮮やかである。この「孤桂」は全体に肥痩のない一本調子の書体であるが、雄渾と厳しさのなかに一種のさわやかさも感じられ、よく見ると二大字が次第に大きく迫ってくるのを覚える。
年 代:室町時代
材質・技法:紙本墨書
サイズ(cm):縦79.7 横24.5
一休宗純(1394~1481)が平生可愛がっていた雀に与えた「尊林」の字号を書いたもの。
一休はこの上なく愛慕していた雀が突然死んだので、いたく慟哭しこの雀を衆生と同様に埋葬した。そして釈迦が沙羅双樹の下で涅槃に入るのに擬して、雀を人格化、深い愛憐の情を込めた偈頌を賦し冥福を祈ったのである。「尊林」の二文字は、荒々しいその筆跡から竹筆で書いたと思われ、また尊の書き出し二画も雀が枝に止まった形に見せているところなど、興趣一入である。竹筆の素朴さが醸す筆線の強靭さと潔さは、この二文字の下方の磊落な書風とは異なり、一休の威厳さえ窺うことができる。
年 代:朝鮮時代
材質・技法:陶器
サイズ(cm):高9.4 口径15.8 高台径5.7
かつて細川三斎(1563~1645)が所持していたことからこの銘があり、松平不昧が大徳寺孤篷庵に寄進した「喜左衛門」や「加賀」と共に、「天下三井戸」と称されてきた大井戸茶碗である。轆轤目の廻ったゆるやかな椀形の優美で美しい姿、高くくっきりと削られた小振りの竹節高台、やや赤みがかった明るい枇杷色の釉薬、腰下高台脇から高台内部までの鮮やかな梅花皮など多くの見所を備え、井戸茶碗としての条件を完備している。目跡が認められないことから、最上位に置いて焼成されたものと分かり、大井戸の代表的名碗と呼ぶに相応しい。
年 代:桃山時代
材質・技法:陶器
サイズ(cm):高8.0 口径11.3 高台径4.7
初代長次郎の赤楽茶碗である。「長次郎七種」に数えられる赤楽茶碗では、これが現存する唯一である。この茶碗は薄作りで、口縁はやや内に抱え込み、胴はまっすぐで、腰のあたりは丸みを帯び、小さな高台が付いている。口縁から腰廻りまで長い貫入があり、黒漆の繕いを施している。胴から高台に向かって、山形に青鼠色の釉が流れて独特の景色をなしている。「早船」の銘は、利休が茶会のために高麗から早船で取り寄せたと語ったことに由来する。
年 代:江戸時代
材質・技法:陶器
サイズ(cm):高9.4 口径11.6 高台径4.2 胴径12.9
腰から胴にかけて丸く張り、鞠のように円満な姿をしているこの赤楽茶碗は、「光悦七種」の一つに数えられる。全体にやや厚めで、内側に抱え込むような口縁から胴、高台にかけて、太くて大きな火割れがあり、いずれも金粉漆繕いが成されている。「雪峯」の銘は、一方の口縁から胴にかけてなだれるようにかけられた白釉を、山嶺に降り積もる白雪に、また火割れを雪解けの渓流になぞらえて、光悦自ら命銘したといわれる。
年 代:南宋時代
材質・技法:陶器
サイズ(cm):高8.4 口径4.1 胴径8.0 底径4.4
堺の町衆油屋常言、常祐父子が所持したことからこの銘を得た大名物の茶入である。唐物肩衝を代表する茶入の一つで、やや小振りではあるが、甑は高く捻り返しは強い。肩は水平に伸び鋭く屈折しているのに対し、胴・腰に至る曲線は優美であり、品格の高い器形を成している。この茶入は油屋から豊臣秀吉に献上された後、福島正則・正利父子を経て柳営御物として徳川家に伝わった。その後、土井利勝、河村瑞賢、冬木喜平次を転伝し、松平不昧の手に渡った。不昧は「雲州蔵帳」の中で「宝物之部」に列し、同家所蔵の茶入の筆頭とした。
年 代:室町時代
材質・技法:陶器
サイズ(cm):高7.7 口径3.2 胴径6.1 底径3.5
小振りの茶入で、口に甑がほとんどなく、肩が強く張り、腰から下が急に細くなっている。全体は天目のような厚い黒褐色の釉に覆われ、随所に禾目状の窯変が見られる。裾から下は金気色の土見となり、畳付は荒い糸切底で、手取りはずっしりと重い。「畠山」の銘は、閑事庵宗信の『雪間草茶道惑解』によると、一条宗貞が京都の畠山辻子で北野天満宮参詣の帰りにこの茶入を求めたことに由来するという。一条宗貞所持の後、加賀前田家、小堀遠州、秋田淡路守、土屋相模守、若州酒井家、原三溪へと伝来した。
年 代:江戸時代
材質・技法:漆器
サイズ(cm):高7.0 口径4.3 胴径8.9 底径5.7
木を刳りぬいて茄子形を彫り出した素地に、漆で彩色した茶器で、蔕形の蓋を載せている。全体に扁平で、肩から裾にかけてゆったりと膨らみ、胴に縦に入る線彫りや蔕の的確な描写は、熟しきった茄子の質感を十分に伝えている。全体に塗られた漆も艶やかで、手擦れや時代の慣れが加味され、侘びた風情を一段と高めている。もともと松花堂昭乗が所持し八幡滝本坊に伝来したことから、「八幡名物」と知れる。大花麒麟と茶地銀襴の仕覆が添っている。
年 代:江戸時代
材質・技法:竹製
サイズ(cm):長16.9 筒長20.0
小堀遠州が松花堂昭乗から掛軸を貰った返礼に贈った茶杓。『伊勢物語』第78段によれば、山科の宮に右大将藤原常行が紀伊国千里の浜の風情に富む石を差し上げた時、在原業平が青い苔を刻んで、あたかも蒔絵のように「あかねども岩にぞかふる色見えぬ心をみせむよしのなければ」と詠じて奉った故事を踏まえたもの。茶杓の見所は蟻腰の中節に開いた虫喰穴。この穴の周囲が奇形の岩盤の趣を呈する大胆な造形で、深々とした色に青苔を連想して銘としたものと知れる。
年 代:桃山時代
材質・技法:陶器
サイズ(cm):高17.5 口径18.3~19.2 底径17.4~19.0
桃山時代の志野水指の中でも、器形・釉調・絵文様などすべてにおいて、最も優れた作行きを示すもの。肩と胴下部に段をつけて箆で整えており、力強く堂々とした姿の水指である。腰のゆったりとしたふくらみに対して頸のしばりは強く、これが外側に開き気味の厚い口縁と矢筈口を強調している。どっぷりと掛かった志野釉が、よく溶けて貫入を生じており、口縁と裾には赤い火色が現れている。胴の周囲には鉄釉で葦と檜垣文が下絵付けされており、まるで水墨画のようなその風情が、冬枯れた岸辺を思わせることから「古岸」の銘が与えられたのであろう。
年 代:桃山時代
材質・技法:陶器
サイズ(cm):高13.7 口径10.9~13.9 胴径13.9 底径10.7
備前火襷水指を代表する優品として古くから著名な1点。薄手に轆轤引きされており、肩が丸く張り、腰から裾にかけて狭くなる形は、伝統的な桶形のやや変形したものと考えられる。大きな口縁は丸い玉縁であったものが、重ね焼きにしたため一方が内に落ち込んで楕円に歪み、親しみやすく茶味にあふれた姿となっている。白く焼き上がった土肌に赤く襷掛けをした備前焼特有の火襷文様が自在に現れており、それは底裏にまでおよんでいる。
年 代:桃山時代
材質・技法:陶器
サイズ(cm):高29.1 口径11.5~13.0 胴径14.7 底径13.1
口部はふっくらと造り、縁を内側に曲げて姥口とし、頸部は左右に四方板耳を付ける。前後に鐶付用の孔の跡があることから、この種の大きな花入も掛花入として茶席に用いられたことが知られる。裾広がりに造った胴部は、六角に面取りし、箆目を入れて区切っている。俗にビロード釉と称される自然釉が裾を残してほぼ全体に厚く掛かり、そこへ窯の中の灰や土が付着してさまざまな景色をつくりだしている。口縁の一部が欠けて、その破片が胴に付着した様子を、「からたち」の棘に見立てて銘としたものである。
年 代:明時代
材質・技法:銅器
サイズ(cm):総長35.0 幅22.0
利休の弟子針屋宗春が所持したことに因み「針屋舟」の銘を得た花入。「針屋舟」は「松本舟」、「淡路屋舟」と共に天下三舟の一つで、その内最も大きく一段と風格を備えている。丸みのある均整のとれた造形、船縁に並行する二条の沈線は殊に優美で、この花入の見所となっている。釣鐶も華奢で、加えてやや赤みを帯びた地金に現れた、むらむらとした彩雲のような景色も味わい深い。宗春の後、木下肥後守、冬木家、宝樹庵道勝、戸田露吟、加州松岡家へと伝来した。
年 代:明時代
材質・技法:磁器
サイズ(cm):(横瓜)高4.5 胴径5.2 (立瓜)高6.1 胴径4.9
祥瑞は中国明時代末期の崇禎年間に景徳鎮窯で日本人向けに作られた染付。鮮やかな発色で、輝きと透明感に溢れている。瓜を横に寝かせた形の横瓜と、立て形の立瓜、2種の形物香合である。それぞれの窪んだ部分からは茎が伸び、葉が添えられているが、特に立瓜ではそれが撮みの役割を果たしている。横瓜は蓋の甲に窓枠を設け、その中に山水文が緻密な筆致で描かれている。立瓜は雷文・菱繋ぎ文・毘沙門亀甲文など幾何学的な文様が交互に斜めに描かれている。
年 代:明時代
材質・技法:磁器
サイズ(cm):高6.0 口径10.5
桃の実をかたどった大振りの青磁形物香合。中国明時代末期に竜泉窯に注文したものと推定される。蓋には二枚の葉が大きく広がり、根本から伸びた茎は一度実の方に折れ曲がり上を向いている。「三千歳」の銘は、漢の武帝が不老不死を願い、三千年に一度花を開き実を結ぶ千果の桃を、西王母からもらったという『漢武故事』所載の伝説に基づいている。古来より桃は、柘榴や仏手柑などと共に不老長寿を意味し、慶事の象徴と考えられてきた。
年 代:室町時代
材質・技法:鉄器
サイズ(cm):高19.5 口径11.0 胴径26.0
天命釜は、下野国安蘇郡天明(現栃木県佐野市天明町)から産出した釜。その特徴として、肌が素肌で、無文・肩衝・面取・段などの複雑な形状に、線や筋が入っているという形姿の面白さが挙げられる。責紐とは、貴人に茶を献上する際、蓋と鐶付を紐で結んで封印するために、鐶付が口際に付けられていることから名付けられた名称と言われる。足利六代将軍義教、豊臣秀次所持の後、柳営御物として伝わり、徳川家康の没後に「駿府御分物」の一つとして紀州徳川家に伝来した。
年 代:室町時代
材質・技法:鉄器
サイズ(cm):高24.9 口径12.9 胴径19.0
芦屋釜とは、筑前国芦屋(現福岡県遠賀郡芦屋町)で鋳造された釜を指し、その多くは真形に文様か霰があり、鬼面あるいは獅子咬の鐶付をもつという特徴がある。本作はすっきりとした端正な形の筒釜で、肩の張りや胴の垂直に伸びる線は力強い。その一方で、面取りすることによって現れた胴から底にかけてのゆるやかな曲線と、一面に描かれた樹幹豊かな梅樹は、柔らかく優美な雰囲気を醸し出している。徳川家康が愛蔵した後、「駿府御分物」として紀州徳川家に伝来した名物。
年 代:明時代
材質・技法:磁器
サイズ(cm):高9.0 口径18.0
古赤絵は、古渡りの赤絵という意味で用いられた呼称で、中国明時代の万暦年間(1573~1620)以前に景徳鎮の民窯で作られ、濃厚な赤を特色とした上絵付による色絵磁器。刀馬人とは『三国志』などに因む人物の意匠のこと。馬に乗り、鎧に身を包み、槍を構えて戦いに向かう三人の人物が描かれており、翻る衣文や跳躍する馬の動きからは躍動感が感じられる。背景の山や高台脇には多くの鋸歯文が描かれており、大軍が押し寄せてくる様子を表現するために描かれたとも考えられる。
年 代:桃山時代
材質・技法:陶器
サイズ(cm):高6.0 口径25.0
鼠志野は、桃山時代に美濃で作られた志野焼の一種で、黒褐色の地に文様を白抜きで表現したものを指す。本作はなで四方に歪められ、見込全面に蓮池が描かれている。口縁は、内側に抱え込ませたような形で線彫りが施されており、底に耳朶状の四つの足が付いている。乾燥させた白い素地に、鬼板を化粧掛けし、掛け残った部分を蓮の葉と土坡に見立て、鉄釉で葉脈などを描き、さらに掻き落しと呼ばれる細い線彫りで蓮花や茎を描いている。
年 代:江戸時代
材質・技法:陶器
サイズ(cm):高14.4 口径19.8
尾形乾山(1663~1743)のやきものは、銹絵・染付・白化粧・上絵付、さらに乾山が独自に生み出した釉下色絵などで、絵画性の強い意匠が施されている。本作はなで四方の深型の手鉢で、弓形の把手が本体に自然に繋がるような柔らかい曲線で渡されている。内側は緑地に乾山が好んで用いた意匠である椿文を白抜きにしている。外側は黄地と紫地に塗り分けて、鮮やかな色の対比を見せている。そこに小さい円文を白抜きにし、円文の中に「寿」「福」の文字を順序よく書き、所々に吉祥の意味を持つ蝙蝠文や双玉文を交えている。
年 代:桃山時代
材質・技法:陶器
サイズ(cm):高14.4 口径3.5 胴径9.6 底径6.5
幾多の古備前徳利の内でも特に声価の高いもので、土肌のやわらかさと変化のある景色を備え、肩には「十」の窯印が刻まれている。根津青山旧蔵品で「五郎」は畠山即翁の命銘になる。
年 代:鎌倉時代
材質・技法:漆器
サイズ(cm):縦26.4 横35.1 高21.2
全面が黒漆の平目地に写実的な牡丹唐草と蝶文を実に巧みに隙間なく布置したもの。幻想的でありながら理知的な構成で、きわめて華やかな装飾美となり、見る者を圧倒させる。甲盛り、錫置口を巡らした合口造りで、蓋に比べて身の丈が高く、胴張りの強いどっしりとした量感に溢れる。蝶形の金銅紐金具を付けている。「雲州蔵帳」に記載され、内箱表に松平不昧の筆で「時代手箱」の墨書がある。鎌倉時代最盛期を代表する優品。
年 代:鎌倉時代
材質・技法:漆器
サイズ(cm):縦16.0 横13.0 高9.3
小形で丸角・甲盛り・胴張がある被蓋造りの沈箱で、桐透し文様の紐金具を付けている。蓬莱山の文様が蓋の甲を中心とし、側面にも配される。蓬萊山の意匠は、中国の神仙思想に基づく吉祥文様で、日本では松竹梅鶴亀の図様によって親しまれてきたものである。蓋表は岩山・松竹・流水・蘆を描割技法で、飛び交う鶴とつがいの亀は螺鈿を用いて印象を強める。全体に写実的で古雅なまとまりをもった作行きである。松平不昧の旧蔵品。
年 代:江戸時代
材質・技法:漆器
サイズ(cm):縦26.3 横16.1 高12.1
二段重ねの身に深い被蓋の付く硯箱。身の上段には硯・水滴・筆が備わる。身と蓋の文様は連続するように蒔絵が施されている。立葵と八重葎が底から生え出し、のびやかに全体を覆う大胆な意匠である。中央には立葵の花を配置し、開花しているものには錫を用いて線彫りで花弁をあらわしており、蕾には鮑貝が用いられ、葉は葉脈を線彫りした鉛と金の平蒔絵であらわされている。各種の材料の特色を生かし、華やかな装飾効果となっている。
年 代:明時代
材質・技法:磁器
サイズ(cm):高43.6 口径9.0 胴径35.0 底径16.0
たっぷりとした胴に長い頸をしたこの種の瓶を、中国では天球瓶と呼んでおり、宋元以前には見えない形である。やや外側に反った口縁の唐草模様を除き、全面に波濤を描いた中に、龍の姿態を白く抜く。龍には文様や表情が刻線で描かれ、風格を漂わせる。比較的白い波頭の部分をおさえ、龍の輪郭もしっかりとっているため、龍の白さが際立っている。底裏は素地があらわれ、赤く焦げている。景徳鎮官窯製。
年 代:明時代
材質・技法:磁器
サイズ(cm):高24.0 口径14.0 底径12.5
「五彩」は白磁の上に赤・黄・緑など様々な色絵具で文様を表した磁器で、日本では「赤絵」と呼ばれている。明代景徳鎮窯で完成され、嘉靖期に生産量は激増し、文様・器形に前代にはない多様性がうまれる。この壺に描かれる魚藻文も、この嘉靖期の代表的な文様の1つ。色彩表現においても、オレンジ色は黄色の上に赤色を塗り重ねて出すという手間のかかるもので、嘉靖年間特有の色と知られ、魚藻文の魚に限られている。赤・黄・緑・オレンジの明るい色彩の藻の中をゆったりと魚が泳ぐ美しい作品である。
年 代:江戸時代
材質・技法:磁器
サイズ(cm):高11.0 口径44.0 高台径24.0
青手の古九谷とは、黄・緑・紫・青の絵の具で器面全体を塗り埋め、素地の余白を見せないものをいう。焼成素地があまり良くなかったのを覆い隠すためにこれらの絵付を行ったとされ、1730年代の廃窯時まで全期に渡り制作されたとされる。本品は腰に弾をつけたいわゆる二段鉢様式の大平鉢で、内面は青海波地に菊花文を散らし、外区に松葉文を巡らせている。大胆な色使いに、緻密な線描が見事で、古九谷青手の最晩期の作と考えられる。
年 代:江戸時代
材質・技法:木製
サイズ(cm):縦21.0 横15.0
山に棲む鬼女の面。大きく見開かれた眼には、金輪が嵌められ怪しさを漂わせる。毛描きは右側が黒地に白、左側が白地に黒と、意識的に書き分けられている。毛の一本一本に光悦ののびやかな筆使いを見ることができる。光悦の作とされる能面は他に例をみないことから、彩色のみ光悦の手によるものではないかとの推測もされる。本作は鬼女の野性的な表情、強さや憂いなどが見事に表現された作である。
年 代:江戸時代
材質・技法:絹製
サイズ(cm):身丈147.0 裄70.4
唐織は能装束の中で最も豪華で主として女役の表着として用いられるが、まれに公達などの男性用の着付にも使われる。椿は長寿を表し吉祥的意味を持つとされ、近世の染織文様によく用いられた。紅地に雪持椿文様を左右対称に織り表しており、椿の花や葉、枝は雪をうっすらと乗せ、樹の背後には金色の雲が配されている。畳紙に文化11年(1814)と記され、その制作年代が知れる。前田家伝来品。
年 代:江戸時代
材質・技法:絹製
サイズ(cm):身丈147.0 裄70.0
室町時代に成立した能楽に用いられた能装束は、当初簡素なものであったが、桃山時代以降に唐織や縫箔など華麗なものが発達し、江戸時代には能装束そのものの体系が確立する。唐織は装束の中でも最も豪華で代表的なもの。主として女役の表着として用いられるが、まれに公達などの男性用の着付にも使われる。染織技術を駆使して多彩な文様が展開されている。本品は藍媚茶地に雪をかぶった二種類の水仙を段替りの様に配しており、静寂な雰囲気を感じさせる意匠である。畳紙に文化10年(1813)とあり、製作年代が知られる。
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