梅澤 幸一
藤沢工場は1965年に操業開始し,今期50周年を迎えた。これを機に藤沢工場におけるポンプのものづくりの歴史を振り返る。当時,藤沢工場は標準ポンプと標準冷凍機の生産工場として建設された。今回,工場建設,生産設備(加工・組立),生産システム・生産性向上活動や自動化・無人化の取組について振り返ってみる。
1959年に藤沢市から工場誘致の話があり,用地取得を決定した。この年に協力会社9社(中央機工,大岩機器工業所,真田製作所,高砂運輸など)も藤沢への進出を決め,約2万2千坪の用地を取得しているが,当社が約17万坪の用地を取得したのは1962年である。1964年に藤沢工場建設部が発足し,10月には地鎮祭を行い,工場建設が開始された。翌1965年5月に事務所が完成,藤沢工場建設部は廃止され,“藤沢工場”(写真1)が開設され初代工場長に建設部長の杉山正一氏が就任した。
同年7月にP1工場の3スパン(P11~P13ライン)が竣工し,ポンプの生産を順次開始し,7月にS型(単段遠心渦巻ポンプ),11月にLPD型(単段インライン渦巻ポンプ),12月にMS型(多段渦巻ポンプ)の1号機が完成した。冷凍機工場の2スパン(R1,R2ライン)は1966年に竣工し,19DA型及び19DF型ターボ冷凍機の生産を開始した。
当時は高度成長期にあり,標準ポンプの需要は年々増加し生産も順調に伸ばしてきたが,更なる伸びに対応するため,P1工場の増設(P14,P15ライン)を1968年に行った。
冷凍機工場も生産機種増(HK型ボイラ,YR型タービン,16JA型吸収冷凍機)と台数増加に対応するため1970年に工場増築(R3~R5ライン)を行っている。
1974年には鋳造ライン設置のためP3工場(P34,P35ライン)を新設し,また油圧ライン及び標準ポンプの新機種のVMS型(立形多段渦巻ポンプ)加工・組立ライン設置のためP2工場(P21~P23ライン)を新設した。
その後も機種・生産台数の拡大によってP2工場は1978年に,P3工場は1981年に増設を行い,両工場共に現在の5スパンの工場となっている。
また,製品倉庫としてL棟を1971年に建設したが,在庫量の増加に伴い1982年にP0棟を建設した。さらに1992年には製品用の自動倉庫を導入した。
写真1 1966年頃の藤沢工場
標準ポンプは,当初から高い生産性が求められ,大きなロット(大量生産)での加工を行うため,川崎工場生産技術を中心に専用機を開発し,導入してきた。その後,大量生産方式から在庫の保有数量を見直す流れのなか,ロットが小さくなり段取替えの頻度が多くなる(多品種少量生産)につれNC(数値制御)専用機や多種の製品が生産可能なNC汎用機に置き換わっていった。
標準ポンプは,藤沢工場開設前まで川崎工場で生産され,当然ながら汎用機械で加工が行われていた。1958年頃から特殊専用機による加工の計画を進め,1961年頃にはMS型ポンプなどの加工に専用機が導入されて生産性が飛躍的に向上した。これらの専用機は1965年の秋に完成した藤沢工場に移設されている。
専用機導入に当たっては粗引き加工なしで,直接仕上げ加工を行うため,削り代を少なく(3mm程度)均一にすること,型のズレも最少(0.5mm以内)に抑えるなど,素材(鋳造品)に対して品質向上を図るため,外注鋳物工場の指導も行ってきている。この思想は現在でも不変である。
藤沢工場の生産ラインは,開設時から1983年頃まで機械加工,中間ストック,組立,試験,塗装,梱包の一貫生産ラインであった。
P1工場建屋竣工後に,S型ポンプの生産ライン(P11)から整備していった。このS型ポンプの加工専用機(写真2)は,MS型ポンプの加工専用機より進化したインデックスマシンと呼ばれていた設備であり,90度ごとに割出するターンテーブル上に取付具を4セット配置し,加工機械に引き込んで複数工程(中ぐり,面削り,穴あけ,ねじ切り)を一回のワークの取付けで加工できる優れた設備であった。
写真2 S型専用機の例(SD11)
また,ジグへの取付けが容易にできるようにS型ポンプの胴体には“耳”を取り付けた(写真3)。図1に主要な構成部分である胴体・吸込カバー・軸受胴体の完成までの生産ラインを示す。これらの専用機は,川崎工場の生産技術で開発したものである。なお,機械職場には,ローラコンベヤが設置され,部品をBOXパレットによって搬送していた。
この年の秋には,川崎工場からMS型ポンプ部品の加工設備が,P12ラインに移設された。藤沢工場のP12機械ラインでは,P11ラインと同様に各設備間をローラコンベヤでつなぎ,搬送待ちのロスを防止していた。また,生産台数の増加に対応するため1966年から1968年にかけて加工設備を増設している。
写真3 S型胴体
図1 S型専用機ライン
P13ラインの加工設備は,1967年から設置が開始され,ラインの中央から東側にLPD型のケーシングとブラケットの加工専用機群,西側に羽根車の加工ラインが設置された(写真4,図2)。羽根車の加工は2ライン設置され,ねずみ鋳鉄(FC)材と青銅鋳物(BC)材のそれぞれ材料ごとの専用ラインとした。特筆すべきは,この羽根車専用ラインでは1973年頃から自動化・無人化に取り組んでいたことである。素材ストッカをもち,ローダ・アンローダによって旋削機械へ取付け・取外しを行い,また,当社の中央研究所で開発された円筒座標系油圧サーボロボットによって,ブローチ盤へのワークの取付け・取外しを行っていたことである。
写真4 P13羽根車ライン
図2 P13羽根車ライン
1968年にS型ポンプの中で生産台数の多い機種と,SQPB型自吸式ポンプの生産ラインとして,P15ライン(図3)にこれまでの専用機よりも生産性の高い胴体加工用と軸受胴体加工用のトランスファマシン(写真5)を導入した。この設備は,サイクルタイムを短くするために工程分割を行い,ステーション数を多くしている。本設備におけるサイクルタイムは,胴体・軸受胴体共に約2分であり,従来の専用機によるサイクルタイム約3分から比べると1.5倍生産性が向上した。ただし,欠点は,段取時間がかかる(1台当たり1日~1日半)ため,加工ロット数が少なくなった1980年代前半で機種数の多い胴体加工用の設備は姿を消した。
写真5 P15トランスファマシン(SBD53)
図3 P15機械ライン
1974年には,P2工場の第一期工事が竣工し,P21ラインにVMS型立形多段渦巻ポンプとBMS型水中ポンプ部品の加工設備が導入された。このラインの特徴は,旋削用に数値制御の汎用工作機械を初めて導入したことである。穴あけ加工に関しては,従来どおり川崎工場の生産技術で設計した多方向多軸穴あけ専用機を採用した。
1978年のFS型遠心渦巻ポンプの発売に向けて,P1工場内では生産のための現有設備の治工具類の整備を進めていたが,量産設備導入のプロジェクトもほぼ同時期に始動し,1982年にP2工場増築部(P24,P25ライン)にFS型ポンプ加工・組立の一貫生産ラインが導入された。ケーシング加工には,NCトランスファマシン(SBD101,SBD102)を導入した(写真6)。将来の多品種少量生産を見据え,生産性(切粉率)を上げるために内段取時間30分以内を目標とし,内段取時間を削減するため,加工中に外段取で次加工機種の取付具,ツーリングを準備しておき,自動で一斉交換することでこの目標を達成している。
加工のサイクルタイムは1.5分で,工程には切粉除去や加工寸法の自動計測・自動補正も含まれている。段取ステーションでは,ワークのクランプ,アンクランプも自動化した。1983年にはLPD型ポンプのケーシング加工も取り込み,夜勤(B交替)で対応した。
ケーシングカバーの加工には,ロボットを利用した無人加工システムを2システム(AMS101,AMS102)導入した(写真7)。各々に30個の素材フィーダと完成品フィーダをもち,旋削加工後に自動寸法計測・補正を行い,ライナリングも自動圧入機で挿入し,穴あけ・タップ加工にはマシニングセンタを採用した。サイクルタイムは約8分で4時間の無人加工が可能であった。
写真6 NCトランスファマシン(SBD101,102)
写真7 無人加工ライン(AMS101,102)
KF統合に向けての藤沢工場再構築が行われ,P1工場及びP2工場内のP21ラインに設置されていた加工設備は老朽化もあり,全て撤去・廃却(一部は協力会社に貸与・売却)された。統合後のP1工場は標準ポンプの組立工場,P2工場は機械工場,P3工場はカスタムポンプの組立工場の位置付けとなった。
P1工場で加工していたS型は,その加工を協力会社に移管し,MS型の吸込・吐出し胴体の加工はP2工場に新規導入したFMセル(Flexible Manufacturing Cell)で加工することとした。このFMセルは,NCターニング,横型・立型のマシンニングセンタの計3台の工作機械と中央のインデックステーブルで構成されていた。インデックステーブルには,第1工程と第2工程のジグが各々2セットあり,ワークは2回転して加工完成となる。加工設備に汎用NC機を採用したため,他機種の加工も容易に行える設備となった。
KF統合では,川崎工場から移設する機械設備のほかに新規設備も導入しているが,中でも写真8の小型ワークFMS(Flexible Manufacturing System)が当時流行した特徴的な設備となっている。
これは,APC(Auto Pallet Changer)付きの小型ターニングセンタ4台と,段取ステーション,立体自動倉庫(棚数81)で構成され,ワークの取付けが完了したジグパレットを立体倉庫に一旦格納し,そこから加工が完了して空いている機械に自動で投入して加工を行い,加工完了後に再び立体倉庫に戻すものである。作業者は,この加工完了したジグパレットを段取ステーションに呼び出し,完成済みのワークを取り外して新しい素材を取り付けて格納する。人による作業は日中だけだが,機械は24時間加工できる。加工機種数が多く,機械のNC装置に全てのプログラムを記憶できないため,事務所に置いたサーバから高速の光通信でプログラムをブロック単位で機械に送りながら加工する,当時最先端のDNC(Direct NC)システムを採用していた。
P2工場の機械加工設備は,1992年に導入した三井精機工業(株)製のマシニングセンタを最後にしばらく新規導入設備がなかった。近年,設備全般に老朽化が進んできたため,2011年から毎年新しい設備が導入されている。
写真8 小型ワークFMS
1973年5月,当時の畠山専務が量産ポンプの将来を見据え,プレス製品・技術の基盤作りを提唱し,社長直轄の全社的な加工開発プロジェクトが発足した。当時の試作・開発は,P3工場で行っていた。
プロジェクトは,設計開発,生産技術,業務,現業系で構成され,製品開発~試作~生産までを独立して一貫で行う体制であり,迅速な業務遂行を可能としていた。
翌年から200トン油圧プレスやプロジェクション溶接機等の汎用設備を導入し,25LPD型の羽根車の量産化を開始した。当時,ブレードの抜き型製作では精度の良いワイヤ放電加工機がなく,川崎工場の治工具班が手仕上げで製作していた。また,羽根車のプロジェクション溶接は,前例や技術情報が少なく,技術確立までに多くのトライアンドエラーを要した。
1976年には,水中ポンプのポントスシリーズP717型を生産,販売開始した。主要部品は全て社内で試作から量産までを行った製品である。
羽根車に関しては,S型,MS型,LPD型,FSD型,SCD型を順次量産化していった。1979年に生産量の増加に伴い,生産性向上を目的としてプレス加工や溶接工程の自動化に挑戦し,羽根車側板のプレス,スピニング加工の自動ライン“BSライン”が稼動した。
1980年にはMS型羽根車自動溶接設備“PC3”が完成した(図4,写真9)。荏原初の自社製自動溶接・組立設備であり,細長いフィーダで羽根車を搬送し,末端で反転させる様子から“コマネチ”の愛称で活躍した。この設備は,夜間無人化にも挑戦し,生産技術スタッフが24時間体制で1週間の間,交代で運転・監視し,停止原因の根本解決を行った。1981年に生産増に対応し,PC3と同一機を増設し,LPD型,FSD型の羽根車の生産を開始(名称“PC2”)した。
同年に設置したBHS型深井戸水中ポンプの羽根車自動溶接設備“PC1”は,FS自動組立ラインと同じく日本初の水平多間接型ロボット(三協精機製作所製スキラム)など,当時の最先端技術を採用していた。
1982年にLPS型インラインポンプのケーシングの溶接設備“LPSライン”(図5,写真10)及び羽根車主板,側板を対象とした自動プレスライン“ABC200”を導入するなど次々に自動化設備を増強した。
1986年のKF統合以降もP2工場で生産性向上のための設備増強を行っていった。この時期,プレス職場は2シフト体制でフル生産の状況で,自動機は,昼休みや2シフト終了後も無人運転を行っていた。1988年に,200トンプレスにコイル供給装置(アンコイラ/レベラーフィーダ)を増強し,数量の多い部品は順送り型化し,飛躍的に生産性を向上させた(手動で多工程をプレス加工する場合と比較して生産性は20~40倍)。
1989年に600トン油圧プレスを導入した(図6,写真11)。多工程の絞り加工等が必要なケーシング類の搬送をロボットで行い,最大5工程を自動で生産可能な設備とした(生産性6~8倍)。BHS型,MDP型多段プレス製ポンプ,BMSP型水中ポンプの中間ケーシングやLPS型のケーシング等の生産を行っていた。
1989年に主板+リテーナの自動溶接機“PC0”やBHS型の羽根車,中間ケーシング自動溶接機“PC1N”(PC1の更新機)を導入した。これらの自動機は,ロボットに画像処理技術を組み合わせ,複雑なジグがなくてもワークのハンドリングを正確に行えるなど,当時の最新技術を採用した設備であった。
プレス職場は十数名の人員で,自動機の多台持ちや無人運転によって,羽根車やケーシング等のプレス部品を年間40万個以上の生産を行っていた。生産管理はトヨタ生産方式と同様の思想で行っていた。
1987年にイタリアプロジェクト(I(アイ)プロジェクト)が発足し,1995年から2年間で藤沢工場のプレス設備の移設と技術指導を実施し,プレス加工部品のイタリア工場への集約が完了し,藤沢工場でのプレス生産は1996年に終了した。
藤沢から移設した,汎用・自動設備は現地スタッフのメンテナンスや改良・改善によって,現在も順調に稼動し生産に寄与している。
図4 羽根車自動溶接機 “PC2/3”レイアウトとワークの流れ
写真9 羽根車自動溶接機“PC2/3”
図5 LPSラインとワークの流れ
写真10 LPSライン
図6 600トン自動油圧プレスのレイアウトとワークの流れ
写真11 60トン自動油圧プレス
1983年にTP生産システムが稼働する以前の在庫形態は,製品在庫だけで,工場開設後しばらくの間は,営業からの年間の売上目標に基づいて月割りにした生産計画を立て,月1回のロット生産(5~300台/1ロット)を行っていた。この生産計画に従い,部品台帳を基に使用部品展開を手計算で行い,1箇月分の機械加工を含めた工程を作成して生産を行っていた。LPD型は,生産台数が増加するにつれ月2回に分けて生産するようになった。
現在では,組立前の準備作業は不要な状態で部品を購入・在庫しているが,当時は準備工程から組立が開始されていた。羽根車は,まず加工で発生したバリ取りを行い,バランス測定・修正を行って組立メインラインに投入され,ケーシング類の耐圧部品は水圧準備工程でバルブやプラグを取り付け,水圧試験完了後に組立を行っていた。
組立ラインにはコンベヤが敷設され,クレーンを極力使用せずに流れるラインであった。MS型多段ポンプの組立(写真12)は定盤上で行い,組立完成後は定盤からスロープで試験場に送っていた。当時から標準ポンプの性能試験(写真13)は抜き取りで行われていたが,直結前の裸ポンプで行っていたため,試験用のモータで行われていた。
特殊仕様(Bグループ)品の対応は,1968年頃から開始され,それまでは裸ポンプを川崎工場に送付して対応していた。
P2工場では,1974年にP21ラインにVMS型,BMS型の加工・組立ラインが,P23ラインには川崎工場から油圧モータの加工・組立ラインが移設・設置され,その後P22ラインに給水ポンプ・消火ポンプユニット(M&Eを含む)の組立ラインが設置された。油圧ラインは,1981年12月まで生産を行った。1982年には,P25ラインにFS型ポンプの加工・組立ラインが新設され,組立ラインの一部の工程にロボットを使用した自動組立ラインや塗装ロボットを導入した(詳細後述)。
P3工場では,1974年にP35ラインに川崎工場で生産していたBC羽根車の量産鋳物工場が,P34ラインには冷凍機の成型ラインが新設され,P3工場は素形材工場の位置付けとなっていった。
写真12 MS型ポンプの組立
写真13 MS型ポンプの性能試験
多くの製品在庫をもって販売するビジネスモデルから,製品在庫を少なくして部品で在庫をもち,売れた分だけ作る,受注したポンプを短納期(受注後3日で出荷)で生産するシステムを構築するため,1981年にTPプロジェクトが発足し,1983年にTP生産システムが稼働した。
ちなみに“TP”とは,“天ぷら”の意味で,天ぷら屋さんは材料は仕込んでいるが,お客さんの注文があってから揚げて,熱々の新鮮なものを提供する。ポンプも製品在庫削減だけでなく,同じように作りたての製品をお客様に届けるという発想でもあった。製品在庫補充も当初は最低5台ロットであったが,現在は売れた分だけ(1台売れれば1台生産)補充するようになっている。
TP生産システムの稼働と時を同じくして,川崎工場の藤沢工場への統合計画(KF計画)がスタートした。藤沢工場では統合するための大掛かりなライン再構築が行われた。P1工場については,南側の専用機群を解体・撤去,あるいはP2工場に移設し,組立ライン全体を一新して南側に移動させ,新設する部品の自動倉庫からのアクセスを容易にした。組立ラインは,小ロット化に対応できる設備を導入した。P1工場の南側に新設された自動倉庫は,オンラインで生産管理のコンピュータと結び,組立で使用するポンプ部品の出庫データを前日夜に受け取り,出庫計画を立てて翌日朝から組立順に取りまとめて出庫する仕組みとした。
組立ラインでは,ベースの穴あけ・タップ加工を,それまでポンチングジグを使用してボール盤で行っていたため,ラインに多量のポンチングジグがあり,探すのにも一苦労していた。そこで,小ロット化に対応するため,マシニングセンタを導入し,加工ジグを全ての機種に対応できる段取レス構造とした。
P2工場は,機械加工工場とするため,組立ラインの全てを撤去し,組立設備の一部をP1工場へ移設した。また,P2工場で生産していたユニットやP1工場へ生産移管できない機種は,協力会社へ生産委託した。P2工場のP23ラインでは,(株)荏原電産が水中ポンプのモータを生産していたが,冷凍機工場のR1,R2ラインに移設した。
P3工場をカスタムポンプの組立ラインとするため,生産設備を全て撤去・移設した。P35ラインの鋳物工場も1985年7月に生産終業し,12月に設備撤去が完了した。
カスタムポンプの生産システムは,川崎工場で作成されたEP生産システムを,統合時藤沢へ移管し,現在も使用している。組立ラインのレイアウトも統合時とほぼ同じく,P32ラインで産業ポンプ,P33ラインで立型ポンプ,P34ラインで横型ポンプ,P35ラインで大型ポンプの組立・試験を行っている。
カスタムポンプの組立を行うP3工場は,クレーンの容量が大幅に不足するため,統合に当たって主柱改造を含めた大掛かりな建屋の補強工事を行った。補強前の最大5トンだったクレーン容量が,補強後には20トンになった。川崎工場の藤沢への移転に伴い,P1工場と同様に部品用の自動倉庫を新設し,保管容量確保と倉庫作業の効率化を図っている。
生産性向上に取り組んできた歴史を振り返ってみる。
KF統合後も標準ポンプの生産台数は順調に増加し,1992年には約53万台となった。P1工場の生産能力増強(60万台の生産可能なラインの構築),体質改善を目標に,外部のコンサルタントを迎え,“P1-95プロジェクト”として工場長以下,生産部・生産技術を主体に1994年まで活動した。活動による導入設備(図7)とその特徴は次のとおりである。
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図7 P1-95活動による導入設備
1998年には,中産連(社団法人中部産業連盟)の“N研(トヨタ自動車(株)出身のコンサルタントの指導)”に参加した。
活動の目的は,“トヨタ生産方式(改善の考え方と実践)を学ぶに当たり,自社内だけではなかなかできないことも,他社の人が参加することによって,改善を推進し,何でもすぐやり,すぐ結果を出すことによって改善の意欲向上,みんなのレベルUPを図る”である。当社及び,日本精工(株),トキコ(株)=当時=,住友電装(株)の各企業が参加した。藤沢工場では,P1工場のP11,P17をモデルラインとして2年間活動を行い,ライン改善を行った。
JIT(Just In Time)生産方式の浸透を図ることを目的に,1999年に当時の島川工場長を委員長に,調達,生産技術,生産,情通のメンバーで,N研と同じコンサルタントの指導の下,主としてP1工場のP11,P17ラインを対象に2年間の活動を行った。その後は実行部隊で継続して活動を行ってきている。具体的には下記の目標を立てて活動し,ほぼ目標を達成した。
・製品在庫半減以下
24時間以内のリードタイムで出荷する
・部品在庫削減
在庫回転率29%UP:24.4回転→31.5回転
在庫金額:23%減
お店化,かんばん化の推進
・平準化生産の実施
1個流し,Ag・Bg混流生産,負荷の平準化
・生産性向上(P17ライン)
ST削減:120分/台→80分/台
EJ21活動の水平展開として,P14ラインの動線短縮のためのレイアウト変更,PNEの組立ラインではセル設置・うさぎ追い方式トライ・多能工化・リリーフの仕組構築などの活動を行ってきた。
2010年から5年間でRFID(Radio Frequency Identification)を利用した生産管理システムをP1工場の全組立ラインに導入し,品質の維持・向上,平準化生産,組立指示のペーパレス化,工程のリアルタイム進捗把握など生産性向上に活躍している(図8)。
図8 RFIDシステム
1982年にFS型ポンプの量産ラインがP2工場第5ラインに新設され,この時から自動組立の取組が始まっている。FS型ポンプ用自動組立ライン(写真14)では,ラインの先頭にケーシングカバーの水圧試験機があり,作業者は水圧試験完了後に自動組立コンベヤ上のジグパレットにセットして自動組立がスタートする。組立工程は,まず第1工程で封水リングを,第2工程でグランドパッキンを挿入し,第3工程のロボットでスタッドボルト植え込み,第4工程のロボットでパッキン押えを取り付けた後にナットの取り付けを行った。また,軸受フレームの自動組立にも挑戦した。使用したロボットは日本で初めて製品化されたスカラ型(水平多関節)ロボットで,メーカは複数社あったがプレスと同様に当時の(株)三協精機製作所製“スキラム”の発売を待って購入した。
スカラ型ロボットのスカラ(SCARA)とは「Selective Compliance Assembly Robot Arm」の略で,水平方向に動作するロボットであり,1980年代から組立作業に多く使用されている。
写真14 FS自動組立ライン
1990年頃から将来の汎用ポンプ組立の無人化,省人化の布石として,また技術の蓄積を目的に給水ユニット(F1000シリーズ)のロボット組立ライン計画がスタートした(写真15)。ロボットによる組立で最も難しいのは位置決めであった。この対応には,プレスラインで経験した画像処理技術で解決した。ロボットで部品をハンドリングした際にボルト穴を画像処理し,またロボットに取り付けたカメラで取り付ける相手側のねじ穴の位置を測定して位置を補正した。
また,2台のロボットによる共同作業も行った。1991年6月には試運転レベルであるが,全工程のロボット組立が可能になり,6月26日の天皇陛下行幸の際にこのラインをご視察いただいた。ロボットは8台使用し,各ロボットの作業内容は表のとおりである。なお,複数工程の作業を行うため,ハンドの自動交換機能を有している。
1992年にはライン全てが完了し,数年間稼働していたが,部品の改変でロボット作業が困難に,また故障が多くなるなどして,2003年には全ての工程が人手による作業に取って代わった。
写真15 フレッシャー自動組立ライン
ロボット | 工程 | 作業内容 |
RB1 | ① | ベースを銘板レーザマーカ機に載せる |
② | 刻印が完了したベースをコンベヤ上のパレットに載せる | |
RB2 | ③ | 制御盤をジグにセット |
⑤ | 制御盤と架台を固定(ナット締め付け) | |
⑥ | 【架台+制御盤】をベースに載せる | |
RB3 | ④ | 架台をハンドリングし,制御盤にセット |
RB4 | ⑦ | 【架台+制御盤】をベースに固定(ボルト締め) |
RB5 | ⑨ | ポンプをベースに固定(ボルト締め) |
⑩ | ポンプ吐出しフランジの上にパッキンを載せる | |
RB6 | ⑧ | ポンプをハンドリングし,ベースを載せる |
RB7 | ⑪ | 圧力タンクを圧力調整装置にセット |
⑫ | ヘッダを圧力タンクにセット | |
(株) | 【ヘッダ+圧力タンク】をユニットに載せる | |
RB8 | ⑬ | 圧力タンクとヘッダを固定(ボルト締め) |
本稿では藤沢工場操業50周年に当たり,標準ポンプを主体に,ものづくりの歴史を振り返ってみた。過去のエバラ時報No.75(1970年)「藤沢工場の生産態勢について」などや荏原だよりも参考にしたが,残されていた僅かな資料を基に,筆者を含め関係者の記憶やOBへのヒヤリングを行って紹介しているため,記憶違いや間違いなどがあれば,ご容赦いただきたい。
藤沢工場ものづくり50年の歴史
1966年頃の藤沢工場
縁の下の力持ち 高圧ポンプ -活躍場所編ー
100万kW火力発電所内で活躍する50%容量ボイラ給水ポンプ
RO方式海水淡水化用大容量、超高効率高圧ポンプの納入
長段間流路内の流線と後段羽根車入口の流速分布
縁の下の力持ち ドライ真空ポンプ -真空と真空技術の利用ー
真空の領域と用途例
座談会 エバラの研究体制
座談会(檜山さん、曽布川さん、後藤さん)
縁の下の力持ち 標準ポンプ -暮らしを支えるポンプー
標準ポンプの製品例
座談会 未来に向け変貌する環境事業カンパニー
座談会(三好さん、佐藤さん、石宇さん、足立さん)
世界市場向け片吸込単段渦巻ポンプGSO型
GSO型カットモデル
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