吉葉 正行
公共投資ジャーナル社 論説主幹
首都大学東京大学院 理工学研究科 客員教授
歴史と格調の高さを誇るエバラ時報が1952年の創刊から今年で通算250号の節目を迎えた。その記念特集号の巻頭言では,前田東一代表執行役社長が情報発信媒体としての機能刷新を唱えられ,次いで251号では檜山浩國技術・研究開発統括部長が率先して,ステークホルダーに向け的確でフレンドリーな企業情報発信の具現化をリニューアル版として披露されている。エバラ時報は,学術論文にも匹敵する相当高レベルの技術情報が掲載された企業誌として定評があり,筆者も折に触れて参照させていただいてきたが,リニューアル後の巻頭言のトップバッターを今般仰せつかり,大変名誉に感ずると同時に,このような記念すべき号において筆者に何が語れるのか,「役者不足」との思いしきりである。しかし,あまり意気込んで専門性にこだわり「タコツボを掘る」ことだけは避けたいと思うので,筆者が最近情熱を傾けている音楽との関係性において企業のガバナンスを中心とする組織論について感ずるままを述べてみたい。
東日本大震災発生の2011年の夏,還暦を迎えたのを機に,道楽の復活とボケ対策,さらにできれば被災地へのボランティア演奏を目論んで,フルートを習い始めた。筆者はこれまで,中学~大学まで吹奏楽と管弦楽の「部活」に明け暮れ,常に学業との間で葛藤しながらも右脳の活性化により感性を磨きながら左脳とのバランスを保ってきた。楽器のキャリアも数種類の金管楽器とティムパニを中心とする打楽器,そして学生指揮者まで「下手の横好き」のレベルながら各レパートリーを経験してきた。その結果,現在たどり着いた最大の難敵楽器がフルートである。ところが,若き学生時代とは違って,先ず楽譜の音符を視認(センシングとプロセシング)するのに0.1 s程度遅れ,さらに的確な運指(アクチュエーティング)までに0.1 sの合計0.2 s近く遅れるため,八分音符などが並ぶアップテンポの曲には全くついていけず,妙齢の女性講師によるレッスンの都度,「年は取りたくない」と嘆く日々が続いている。音楽は,習熟過程により「音が苦」,「音学」,「音楽」,そして「音嶽」の段階を踏むというのが持論であるが,現在ようやく「音学」にたどり着いたものの,「音楽」のレベルには程遠く,ボランティア演奏行の時機など,既に完全に逸してしまっている。
さて,音楽の創造は主に二通りのアプローチから構成される。一つは,曲想をイメージして楽譜に落とし込んでいく「作曲」であり,もう一つは,その楽譜を読み込んで楽曲を奏でる「演奏」あるいは「歌唱」である。前者は,アナログ的な曲想を離散型の音符の有機的組織化により譜面上にデジタル処理していくのに対し,後者は個々の音符(デジタル信号)をアナログ変換して連続体の楽曲に紡いでいくプロセス処理といえる。このような特質は,「ものづくり」技術分野とも共通性が高く,「作曲」を「設計」(概念設計と詳細設計から成る),「演奏」や「歌唱」を「製造」と読み替えることができよう。すなわち,演奏家が作曲家と価値観や感性を共有化あるいは十分理解して最高のパフォーマンスに仕上げられなければ,音楽愛好家たる耳の肥えた聴衆(顧客)を満足させることはできない。とくに大編成のオーケストラにおいては,作曲者と演奏者との間に立ってインターフェース機能を果たす「指揮者」が必要であり,ここでは単なるメッセンジャーの役割を越えて,カリスマ性に富んだ強いガバナンス力が要求される。
個々の演奏者に求められる能力は当然,楽器を自由自在に操って楽曲を柔軟に表現できる演奏スキルと磨かれた感性である。この個人技に優れていなければ,いかに優れた指揮者がタクトを振ったとしても作品のレベルには限界がある。一方,例えばウィーン・フィル(ハーモニー管弦楽団)のように個人技において超一流の楽員で編成されたオーケストラでは,新参者の指揮者では軽くあしらわれて,楽団とのバトルで全く歯が立たないそうであり,結局のところ両者のバランスが取れた協調と競争が重要ということになる。
現代日本の製造業をはじめとする産業界は押し並べて,著名なメガカンパニーといえども技術や経営陣に欠陥や油断があると直ちに信用やブランドの失墜に陥り,果ては企業買収や統廃合といった弱肉強食の時代を迎えている。このような危機的状況を乗り越えて,さらなる発展を遂げるためには,個々の技術者のプロ意識の涵(かん)養に基づくスキルの磨き上げと,彼らの楽器を自由奔放に奏でさせることのできる指揮者(経営陣)の組織構築能力ならびにガバナンス力がともに重要である。これらが実践できて初めて,絶妙なハーモニーをもったサウンド(作品)の提供が可能となる。
ところが,筆者が現在深く関わっている廃棄物・バイオマス処理におけるエネルギー回収技術分野では,確立された設計手法が未だ存在せず,楽譜に頼ることのできないJazzのような世界が残っている。とりわけ,腐食や磨耗などのように時間依存性が強く,ボディーブローのように次第に効いてくる部材損傷問題の深淵性は,「泥沼」を越えて「底無し沼」に近い様相を呈し,メンテナンス部隊を中心とする現場技術者は常に「長期間にわたる緊張」を強いられることになる。その状況と心情はまるで,ピアニシモによるロングトーン演奏のようであり,ここでは演奏者同士が絶えず他者の音に耳を傾け,相互に意識・補完し合いながら「阿吽の呼吸」により楽曲をつくり上げていく,「楽譜」に頼らずに「共鳴」する音楽の世界が存在する。果たして,このような状況下において「指揮者」はどのような役割を果たせばよいのであろうか?
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