The Saying of Issei Hatakeyama創業者 畠山一清 語録
『人間なんでもやろうとすれば道はある。』
畠山一清
およそ100年前、100年後の今を見据え「社会に貢献する」道をひたすら歩み続け、エンジニアとして信念を貫いた一人の起業家がいた。荏原製作所の祖 畠山一清。荏原のイノベーターとしての原点であり、今も受け継がれる創業精神「熱と誠」を提唱した先人の言葉とその心意気を紹介する。
序章
オープンイノベーションの先駆
私は世界的に認められた井口先生の理論を本格的に世に出したかった。
東京帝国大学(現 東京大学) 機械工学博士井口在屋の「渦巻きポンプ」の理論は、当時世界でも評価の高い理論でした。1910年恩師でもある井口教授の理論を製品化し、世に送り出すために畠山一清は、井口氏と共同でゐのくち式機械事務所(現 荏原製作所)を創業。その後様々な改良を重ねながら特許を取得し、1914年「ゐのくち式渦巻きポンプ」を実用化しました。このポンプは2007年8月機械遺産として登録されています。こうした学術的に価値の高い研究・理論を実践に置き換え実用化し、高付加価値製品として世の中に送り出して行く仕組みは、言ってみればオープンイノベーション※として捉えられないこともありません。荏原では2010年EOI(エバラ・オープン・イノベーション)という研究方式、2014年にEOL(エバラ・オープン・ラボラトリー)を構築しこの2つの研究体制ともとで大学など外部研究機関との連携を深めています。そして、今EIX(エバラ・イノベーション・フォーX)に進化した研究体制から、次代への新たな技術や製品が創出されようとしています。 ※Open Innovationは、2003年米国ヘンリー・チェスブロウ博士によって提唱された概念であり、技術を進歩させるために企業が外部のアイデアを内部と同様に活用し、内部と外部の市場への経路を活用することが可能であり、またそうしなければならないパラダイムである、と定義している。
第2章
サステナビリティへの至言
われわれがこの世の中に生活していくためには自ら大変な消費をする。その消費を償ってなおかつプラスのものを後世に残していかなければならない。
サステナビリティ。持続可能性と訳されるこの言葉は、最近では、環境問題、エネルギー問題について使用されることが多くなっています。荏原でも、この環境・エネルギー問題(「水不足」「エネルギー不足」「気候変動」「廃棄物処理」など)に正対し、現在地球が抱える問題を見据えながら課題に解決に向けた製品・技術の新たな開発と製品のライフサイクルを通じた提案を行っています。そこには、メーカ(生産者)として消費したものを、メーカとしていかに社会・世界、ひいては地球に還元し、企業価値を高め続けていかなくてはならない、という強い使命感があります。「世界トップクラス産業機械メーカ」を目指すこととは、単にシェアや生産台数・売上高を競い合うことではなく、地球市民企業として世界と共に未来へ持続する社会を共創していくことなのです。この言葉の意味は、そこにあります。
第3章
ユーザー・オリエンテッドの
徹底自分がポンプを毎日毎日使っている人になりきってポンプの製作にあたる。
営業もエンジニアもマーケット・イン(顧客ニーズを重視する考え方)の発想なしにモノは売れません。市場調査、設計、セールスプロモーション(売り方)まで、一気通貫して考え、提案していかなければなりません。そして、最も大切なことがこの言葉にある、使う人の身になって考え抜くということです。この姿勢は、今も社員一人ひとりの仕事への向き合い方の根本になっています。「こんな機能がほしい」「こんな設計にしてほしい」「これくらいの価格帯に」‥‥‥。その要求の難しさに、荏原の社員は胸躍らせます。使う人の身になれば、絶対、「できない」とは言えません。最後まで妥協せず、できる方策を考え、実現していく工程を想い描く。試作し、再検討し、また試作に向かっていきます。お客様第一を最優先事項として「飽くなき挑戦」をし続ける荏原の真骨頂。世紀を超えて、世界に広がる不滅のエバラ・スタイルです。
第4章
グローバリゼーションの端緒
世界に追いつき、世界を追い越していこう。
荏原の創業期は、ポンプと言えば「舶来品至上主義」。いくら機能や性能が海外の製品と互角かそれ以上であったとしても、その壁を打ち破っていくことは至難の業でした。それでも自前の製品・技術に絶対の自信と誇りをもって、地道に、その評価を勝ち得ていったその気概は、まさに情熱と誠の志の賜物。今、荏原の国内・海外売上比率は、海外が50%を越えグローバル化へ加速しています。製品の耐久性、メンテナンスのサポート体制による信頼は、多くの国でEBARAブランドとして定着し、世界屈指の「産業機械メーカ」としての地歩を固めています。荏原の次代は、まさにグローバル・マーケットで圧倒的存在感を示していくことにあります。この言葉のあとを締めるのは、「世界が目指す荏原製作所」でありたいと思っています。
第5章
ライフラインへの先見
200万人市民の生命・財産を守らねばならぬ水道が、たった1本の水路にだけ頼っていることに大変な危険と不安を感じていた。
この言葉の背景には、1923年東京を襲った大地震「関東大震災」があります。 その前触れのように度々起こっていた地震。その予兆を感じ、危惧を抱いた畠山の胸中を語ったのがこの言葉でした。畠山は動きます。既存の未利用水路をつなぎ通水、そこからポンプで浄水場に揚水するという計画を作成し、予備施設を自前で創り上げてしまったのです。予感は現実に。地震で給水用の水路は破壊され、水道途絶。当時の東京市民(当時は東京市)は、畠山の炯眼と実行力がなければ生命の危険に曝されていたことでしょう。水道は二日後に復旧。このニュースは、奇跡として全世界に報道されます。ライフラインという言葉も概念もない時代に災害時の減災対策という、この畠山の行動が多くの人命を救ったと言っても過言ではないエピソードです。今、荏原では気候変動に伴う想定を超えた豪雨での「河川の氾濫」などの対策に地域と協力しながら防災・減災製品提案を積極的に行っています。
第6章
エンジニアとしての気概
製品は人間が作る。工作機械が作るのではない。すぐれた製品ができるかどうかは、われわれのやる気があるかどうかだ。やる気があれば何でもできる。
この言葉には「自分で考えろ」という意図があります。先輩社員が手取り足取り教えることはありません。ノウハウは自分で確立するからこそエンジニアとしての自信と誇りが生まれます。それは、もしトラブルに直面したとしても、自分なりに考えたロジックでそれが解決できたとすれば、エンジニアとしてかなり大きな自信になるという考え方なのです。「若手には、成功体験をできるだけ早くもたせたい」という願いがここにあります。エンジニアとして、その道のプロフェッショナルとして多くの成功体験を持つことは、必ず成長への原動力になります。常にあらゆる局面を想定しながら、自らの考え方、対応する行動力をもってください。エンジニアの気概として「挑戦することで失敗する」ことは、必ず次の大きなジャンプを約束してくれます。
第7章
能力優先主義
若い社員でも能力があるなら、どんどん抜擢していけばいい。年功序列は好きではない。
荏原は、これから「競争し、挑戦するための企業風土」を果敢に目指していきます。多様なバックグラウンドを持った一人ひとりが自らもつ能力や個性を存分に発揮できる組織と、入社年数が少なくとも実力と意思で大きな役割にチャレンジしていける制度と風土。社員が互いに切磋琢磨しながら、成長を遂げていける場をできるだけ多くつくっていきたい。なぜなら、それが荏原の競争力の源になっていくと考えるからです。「世界トップクラスの産業機械メーカ」としてグローバル・マーケットにおいては熾烈な競争に勝ち抜き、製品開発においては革新的な技術と実効性の高い研究体制を構築していかなくてはならない今、重要なのは「人材」です。変革を恐れないイノベーターとしてのチャレンジ精神、リーダーシップ、そして「熱と誠」を次代へ受け渡していける人たちとの出会いを待ち望んでいます。
大団円
「熱と誠」を携えて 成長への飽くなき挑戦
「熱と誠」を携えて成長への
飽くなき挑戦与えられた仕事をスンナリこなすということではなく、自ら創意工夫する熱意と誠の心をもって本人も会社も伸びようとする狙いなのである。とくに技術を『売りもの』にしている当社にとって欠くことのできない根本精神である。