「全ての道はローマに通ず」ということわざを生み出したように、古代ローマでは道路網が発達していた。インフラ整備に力を注いだローマは、水道においても高い技術力を発揮する。その代表的な建造物のひとつが、フランス南部ニーム近郊のガール川(ガルドン川)に架かる水道橋、ポン・デュ・ガールだ。
※このイラストはイメージです
紀元前に始まり、地中海沿岸に広大な領土を持った古代ローマ帝国。道路・神殿・円形闘技場・大浴場のほか、水道の発達により水洗式の公共トイレも存在した。平和を長く保つ方法は、ローマ帝国のどの都でも変わらない快適な暮らしを提供すること。そのために何より大切なのは、きれいな水の確保だったが、当時のローマ都市のひとつ・ネマウススでは人口増加のため、公共施設で使用する水が不足していた。そこで、この水不足を解消する理想の泉(ユゼスの水源)を山間部で見つけ出す。しかし街まで水を引くには50kmもの水路が必要だった。
そこで古代ローマ皇帝アウグストゥスの腹心アグリッパの命令で、水路の建設に取りかかる。
ポンプのないこの時代、水を運ぶには水路に高低差をつける必要があった。水源地から街までの高低差は17mほどしかなく、1kmあたり34cmという微妙な勾配をつけて水が流れるよう設計しなければならなかった。その水路における難所が川。そこで建造されたのが、16階建てのビルに匹敵する高さ49mの三層構造の水道橋、ポン・デュ・ガールだ。この高度な建築技術により、水路はポンプを用いずに1日に2万立方メートルもの水を供給した。
また、この水道橋の橋脚には、川に大量の水が流れてきても水圧を分散させる仕掛けがある。その仕掛けにより、2002年にフランスを襲った大水害でも壊れることはなかった。
「きれいで豊かな水をふんだんに使うことこそ贅沢」とされていた古代ローマ文化。
それは同時に疫病の蔓延を防ぎ、「ローマの平和」を維持することに貢献した。
そして2000年を経た今も壊れずに、その美しい姿を目にすることができる。18世紀の大哲学者ジャン=ジャック・ルソーはこの水道橋に圧倒され、「実物は予想を超えていた。そのようなことは私の人生で一度である。その巨大さの中で自分を卑小なものと思いながらも魂に高揚を覚え、“なぜローマ人に生まれなかったのか”とため息とともにつぶやいていた」とその経験を書き残している。
そして、ポン・デュ・ガールは現在の5ユーロ札裏側のモチーフにもなっている。
今なお研究が続けられ、私たちの探求心をくすぐる魅惑の橋だ。