コルディリェーラの棚田群はフィリピン・ルソン島の北部に位置し、世界最大規模と言われている。コルディリェーラ山脈の標高1,000mから2,000mの急斜面を埋め尽くし、まるで天へと至るような景観美から「天国への階段」と呼ばれている。
※このイラストはイメージです
棚田とは、水田が一段一段、まるで天を目指すように積み重なっている階段状になった水田で、山肌を切り拓いて、斜面を少しずつ上へと伸ばしつくられた稲作地のこと。稲作が盛んな日本でもよく見られる風景だが、フィリピン・コルディリェーラの棚田群のスケールは桁違いだ。人の手の力だけで、コツコツと積み上げた田んぼの石垣。そのあぜ道は地球半周分・20,000kmに達すると言われている。
山岳地の険しい環境に棚田を作り上げたのは、イフガオ族という山岳民族。約2000年も前に海を渡ってこの山間の地に根をおろし、米作りの技術を伝えたと言われている。文字を持たない彼らは口伝えでその技術を親から子へ、孫へと受け継いだ。イフガオの人々の営みが長い時間をかけて蓄積し、壮大で美しい風景をつくり上げた。その価値は世界遺産においても「文化的景観」(人間と自然との相互作用によって生み出された景観)として認められている。
米作りに不可欠な水は、一体どこからくるのか。答えは、棚田の上に広がる森である。山頂付近をおおう熱帯雨林、そこが「いのちの森」だ。森の豊かな湧き水を、用水路をつくって棚田の上まで導き、水田から水田へと水路をつなぐ。上から下へ、自然の力で水を流れ落とし、万遍なく田をうるおしている。
フィリピンはもともと東京の倍近い降水量があり、森は多くの雨水を蓄える。森から養分を吸収した水は棚田に少しずつ流れ込み、石や土でつくられた壁の隙間や水路を通って別の水田に流れていく。急斜面という地の利により水が行き渡るため、今でもポンプなど機械は使われていない。先人の知恵が生んだ独自の灌漑技術と伝統的な生活は、自然との調和を大切にした農法を長きに渡って守り続けてきた。
森は、水を蓄える天然のプール。山の民は精霊が住む森を崇め、こうした灌漑技術によって棚田を支えてきたのだ。
アジアの原風景のような棚田の米作りは、あぜ道が狭く機械を持ち込めないため、すべて手作業で行っていた。また天の恵みの雨は、時に濁流となって木々をなぎ倒すなど災いをもたらし、山は徐々に水を溜めこむ力を失ってきた。その後土砂崩れが起き、壊れたままの棚田も多くなった。
さらに、後継者不足で放棄された田や、森林の伐採、近代化による生活の変化により景観の維持管理が不安視されたことから、一時は危機遺産に登録された。しかし国内外からの支援と地元住民の努力で、今は解除されている。近年は貴重な観光資源として評価され、絶景をもとめて世界中から観光客が訪れる。観光による収入もまた、これからの棚田の保全につながっている。
この地で暮らす人の営みは、これからも続いてゆく。数千年先もこのかけがえのない景観を失わないために、伝統は脈々と受け継がれる。