都江堰(とこうえん)は中国四川省の省都(省の首都)・成都市の郊外に位置し、およそ2,200年前に建設されたといわれている水利施設である。その近くには道教の発祥地として有名な青城山(せいじょうさん)の峰々が広がっている。不老不死の秘法を得たという仙人を求めて多くの修行者が集まり、100もの寺院が建立された景勝地。この2つは1物件として世界遺産に登録されている。
※このイラストはイメージです
1年を通して森林が青々とし、環状に連なる峰々が城郭のように見えることから、その名がついた青城山。ここは中国三大宗教のひとつ「道教」発祥の聖地とされており、今も中国文化の底には道教が脈々と流れ続けている。
「天下に名山は多けれど、幽玄で静かなること、青城山に勝るものなし」
今から1,900年前、道教の開祖・張道陵はこの地で洞窟にこもり、厳しい修行の末に不老長寿の秘法を得たという。その後、開祖を慕う人々は、深山幽谷に道をつけ、道観と呼ばれる道教の寺院を次々に建てた。
山の薬草から漢方薬をつくるのも修行の一環であった。目的は不老不死の仙薬をつくること。時の権力者たちが不老不死を求め、仙薬の開発に力を注いだためである。そしてこの錬丹術の過程の途中、副産物として古代中国は火薬を発明したという。
1960~70年代には、毛沢東の文化大革命によって、道教は壊滅的な打撃を受けた。しかし、そこから立ち直り、今も多くの道士が青城山で修行に励んでいる。
四川盆地を流れる岷江(みんこう)は、氾濫の絶えない、災いの大河川だった。春の雪解け水で氾濫して洪水を引き起こしたり、干ばつによる水不足が度々おきたりして人々を困らせていたため、秦の王は郡守(地方長官のようなもの)である李冰(りひょう)に岷江の洪水を防ぐシステム作りを命じた。しかし岷江は軍用の水路としても使われており、完全にダムを造ってせき止めることができず、李冰は川を本流と支流にわけ、水量を調節することにした。ではポンプのないこの時代、どのように水量を調節したのか。
まずは川の流れを分断するため、岷江を掘り下げた土砂を川の中央に積み上げて人工の中州、長さ1キロの金剛堤を築いた。次に堤防(中州)の突端にある魚嘴(ぎょし)で、本流と支流にわけ、水量を調節。支流に流れこんだ水は、灌漑用水として成都平野に送られるようになった。増水時には、堰の中ほどにある飛沙堰から本流に自動的に水が戻るようになっており、水害を回避する。
紀元前256年頃に建設が始まった都江堰は、約8年の月日を費やし完成した。これにより、未開の地だった四川省は、穀物が豊かに実る「天府の国」へと変貌。秦の始皇帝の統一を支えた。
本流と支流に分ける魚嘴
今なお、中国史上もっとも偉大な土木事業といわれる都江堰。この古代の水利システムは、紀元前3世紀から、歴代王朝によって管理、補強され、手を加えられて中国の民衆の暮らしを支え続けた。工事中には、三国志で有名な諸葛孔明も視察に訪れ、「この堰は、わが国の農業の命…。国力の源である」と語ったという。
李冰は工事の途中で病に倒れ没して事業は息子に受け継がれたのだが、この親子を祀るため、都江堰を望む山の麓に二王廟という寺院が建てられている。中国の民衆は、道教の神々に李冰を加え、その功績をたたえている。